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5年のあゆみ
1900〜
本郷区(現文京区)弓町に
「私立女子美術学校」創立
1900年(明治33年)に、「芸術による女性の自立」、
「女性の社会的地位の向上」、「専門の技術家・美術教師の養成」を建学の精神として掲げ、「私立女子美術学校」の校名で東京の本郷弓町(現文京区)に誕生しました。設立した当時は、女子高等教育機関が本格的に発足した時代でしたが、「女子のための美術の専門教育機関」という構想はまさに先駆的で挑戦的なものでした。学校の設立にあたっては横井玉子が中心的な役割を担い、藤田文蔵の協力によって計画の具体化が図られました。

1900
- 1900年 10月
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私立女子美術学校設立の認可を受ける。発起人・横井玉子、藤田文蔵、他2名による
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- 横井玉子
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熊本支藩の肥後新田藩家老原伊胤の娘として生まれ、横井小楠の甥、横井左平太に嫁ぎ、自らも本多錦吉郎、浅井忠らの画家について美術を学ぶ。また女子学院で教鞭をとる傍ら、婦人の地位向上と社会改良のための活動を行っている。
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- 藤田文蔵
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工部美術学校でイタリア人ラグーザに師事し、後に東京美術学校(現東京藝術大学)教授となり、私立女子美術学校の初代校長に就任している。
1901〜1921
経営危機、校舎喪失を経て
「菊坂の女子美」へ
設立の翌年4月に学生を受け入れることができましたが、入学生が極めて少なかったことから、学校はたちまち財政的な経営危機に見舞われました。この危機を多大な貢献によって救ったのが順天堂病院長佐藤進男爵夫人であった佐藤志津でした。佐藤志津は同年より校主となって、生徒、卒業生、職員を一体とする家族的な明るい校風をつくりあげました。
1908年(明治41年)には校舎を焼失するという不幸に見舞われますが、佐藤志津の学校存続の固い意志によって新校地を本郷菊坂町(現文京区)に求めて復興し、戦後東京都杉並区に移るまで、「菊坂の女子美」として知られることになります。以後、時代の変化に対応して、1917年(大正6年)に設置母体を財団法人化し、1929年(昭和4年)には専門学校へと昇格しています。また、1915年(大正4年)には付属高等学校・中学校の前身となる付属高等女学校を開学しました。

1901〜1921
- 1901年 4月
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本郷弓町(現文京区)の校舎において開校
藤田文蔵が初代校長に就任
- 1901年 11月
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経営難により発起人の権利を佐藤志津に移行
- 1902年 1月
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佐藤志津 校主となる
- 1904年 1月
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佐藤志津 校長に就任
- 1908年 10月
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火災のため弓町校舎焼失
- 1909年 7月
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本郷菊坂(現文京区)に新校舎落成
弓町校舎より移転
- 1915年 4月
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校長佐藤志津により附属高等女学校開校
- 1916年 2月
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附属高等女学校を私立佐藤高等女学校と改称
- 1917年 2月
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財団法人私立女子美術学校に組織変更
佐藤進 財団法人初代理事長に就任
- 1919年 5月
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佐藤志津 3月逝去により佐藤進校長に就任
- 1919年 5月
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私立女子美術学校を女子美術学校と改称
- 1929年 6月
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専門学校に昇格 女子美術専門学校と改称
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- 佐藤志津
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下総の佐倉藩医、順天堂(現順天堂大学)の第二代堂主である佐藤尚中の長女として生まれ、幼少期より漢籍などを学び多くの技芸を身に付ける。後に順天堂病院長佐藤進男爵夫人となる。また宮中に出仕するなど、常に修養に努める人格者であった。
1935〜1948
杉並への移転、
戦争への歩み
この間に、学校の規模は大きくなり、校舎と校地は狭隘な状態となっていました。そこで、1925年(大正14年)頃から校地の移転が構想され、1935年(昭和10年)に東京の杉並区和田本町(現杉並校舎)に移転を実現しています。以後、菊坂の地は高等女学校専用の校地となりました。
杉並の地に移転した後、すでに進んでいた戦争への歩みが暗い影を落とし始めます。非常時の体制がひかれ、世間の美術教育への理解も薄れるとともに、物資は困窮し教育にも支障が出始め、ついには学徒の勤労動員が開始されます。また戦火により、菊坂校舎は焼失してしまいます。しかしながら、幾多の苦難を乗り越え、本校は戦時下においても美術教育の灯りをともし続けました。

1935〜1948
- 1935年 1月
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女子美術専門学校が杉並区和田本町(現杉並区和田)に移転
- 1945年 3月
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空襲により菊坂校舎全焼
- 1947年 4月
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学制改革により新制佐藤中学校を開設
- 1948年 4月
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学制改革により新制佐藤高等学校発足
1949〜1980
「大学」へ昇格
戦後、学制改革により、1949年(昭和24年)に専門学校から大学への昇格が認められ、新制大学となって校名を「女子美術大学」としました。戦前には女子大学は大学令にもとづく大学として認められず、また女性の大学進学も原則としてできなかったため、ようやくこの学制改革により女性への大学進学の門戸が開かれました。1950年(昭和25年)には財団法人を学校法人とするとともに、短期大学部を併設しました。

1949〜1980
- 1949年 2月
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学制改革により女子美術大学発足
芸術学部に美術学科と服飾学科を設置
- 1950年 3月
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財団法人女子美術大学を学校法人女子美術大学に改組
短期大学部を併設し、服飾科を置く
- 1951年 8月
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佐藤高等学校・同中学校を女子美術大学付属高等学校・同中学校と改称
- 1952年 3月
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付属洋裁学校開設
- 1953年 4月
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短期大学部に1年制の服飾別科を設置
- 1955年 4月
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短期大学部服飾科を服飾コースと図工コースに分ける
- 1956年 4月
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火災のため杉並校舎の大半が焼失
- 1957年 3月
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短期大学部に図工科(現造形学科)を新設
- 1961年 4月
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和田寮完成
- 1962年 4月
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短期大学部を女子美術短期大学と改称
- 1963年 4月
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短期大学を服飾美術科・造形美術科とし、専攻科を新設
- 1966年 4月
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芸術学部美術学科を絵画科・産業デザイン科・芸術学科に改組
- 1967年 4月
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茅ケ崎校舎にて短期大学専攻科(絵画)の授業開始
- 1967年 9月
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女子美画廊開設
- 1968年 4月
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茅ヶ崎校地に付属幼稚園開設
- 1971年 7月
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蓼科寮開設
- 1976年 9月
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付属高等学校・中学校アトリエ(9号館)完成
- 1980年 10月
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創立80周年記念式典挙行
1980〜1996
相模原校舎開校
東京の杉並校舎は大学、短期大学、付属高等学校・中学校が共有していましたが、教育研究環境の拡充、また、社会に対応した「理想的な美術大学の実現」という基本方針のもと、1990年(平成2年)には神奈川県相模原市麻溝台に新たな校地を取得して相模原校舎を建設し、大学を移転しました。さらに教育研究の高度化を目指し、1994年(平成6年)に同校舎に大学院を開学しました。

1980〜1996
- 1990年 4月
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相模原校舎開校
芸術学部を相模原校舎に移転し、絵画科、デザイン科、工芸科、芸術学科に改組
- 1994年 4月
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大学院美術研究科(修士課程)を相模原校舎に設置
- 1996年 4月
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大学院美術研究科(博士後期課程)を相模原校舎に設置
2000〜2010
創立100周年、
女子美アートミュージアム開館
2000年(平成12年)には創立100周年を迎え、相模原校舎に念願の大学美術館(女子美アートミュージアム)を建設しました。2003年(平成15年)には社会との連携による研究機能、生涯学習機能を強化するため、付置機関として研究所、オープンカレッジセンターを開設しています。
2010年(平成22年)には創立110周年を迎え、記念事業、大学の改組を実施します。また杉並校舎を整備して大学の新学科を開設します。

2000〜2010
- 2000年 10月
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創立100周年式典挙行
- 2001年 4月
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芸術学部に立体アート学科、メディアアート学科、ファッション造形学科を設置
女子美術短期大学を女子美術大学短期大学部と改称、さらに造形科を造形学科に名称変更
- 2001年 10月
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創立100周年記念棟完成
女子美アートミュージアム(JAM)落成
- 2003年 4月
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短期大学部別科造形専修を別科現代造形専修に名称変更
女子美術大学研究所、女子美オープンカレッジセンターを設置
- 2005年 4月
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大学院美術研究科修士課程芸術文化専攻を設置
- 2007年 4月
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短期大学部別科現代造形専修を別科基礎造形専修に名称変更
- 2009年 4月
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短期大学部別科基礎造形専修を募集停止
- 2010年 4月
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芸術学部の絵画学科、工芸学科、立体アート学科、デザイン学科、メディアアート学科、ファッション造形学科を募集停止
芸術学部に美術学科(4専攻)、デザイン・工芸学科(4専攻)、アート・デザイン表現学科(4領域)を設置
短期大学部造形学科を美術コース(平面・立体)・デザインコース(情報デザイン・創造デザイン)に改組
- 2010年 11月
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創立110周年記念式典挙行
2011〜2025
現代社会のニーズに応じた
学びの提供と人材輩出へ
変わりゆく時代のなかで、美大に求められるニーズも常に変化していきます。その中で女子美では、創立者である横井玉子、そしてその志を引き継いだ佐藤志津の理念を継承しながら、その時代で必要とされる力の養成を目指し教育組織の見直しを行ってきました。

2011〜2025
- 2012年 4月
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芸術学部美術学科に美術教育専攻を開設
- 2014年 4月
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芸術学部美術学科に芸術文化専攻を開設
ドローイングルーム(現ドローイングセンター)開設
- 2015年 10月
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女子美術大学付属高等学校・中学校創立100周年記念式典挙行
- 2016年 4月
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大学院美術研究科修士課程を大学院美術研究科博士前期課程に名称変更
- 2017年 4月
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短期大学部造形学科を美術コース・デザインコース(グラフィック・メディア・テキスタイル・スペース)に名称変更
- 2020年 10月
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創立120周年記念式典を挙行
- 2022年 4月
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JOSHIBIアーティスト・イン・レジデンス開始
女子美クリエイティブ・ラボラトリー開設
- 2023年 4月
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芸術学部共創デザイン学科を杉並校舎に開設し、4学科体制に移行/短期大学部デザインコースを「グラフィック」「メディア」「テキスタイル」「プロダクト」に再編
- 2024年 4月
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芸術学部アート・デザイン表現学科にスペース表現領域を開設
芸術文化専攻を国際芸術文化専攻に名称変更
芸術学部美術学科
芸術学部アート・デザイン表現学科ファッションテキスタイル表現領域をファッション表現領域に、アートプロデュース表現領域をクリエイティブ・プロデュース表現領域に名称変更
- 2025年 10月
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創立125周年記念式典挙行予定